そんな生きにくさを感じつつ、地元のデザイン科高校に進学🏫
人数も少なく、進学校でもない。
少しでも心穏やかに過ごせるのではないか、という期待もありました。
結論から言うと、私はこの小規模な高校を選んで正解だったと思っています。
高校に入っても相変わらず、音読恐怖は私に付き纏いました。
国語だけに留まらず、音読を推奨している先生の担当科目は毎回ドキドキ。
休み時間は友達と話しつつも、頭の中は次の授業で音読が当たるんじゃないかとか、そんなことばかり。
今日は12日だから、出席番号12のこの子は当てられそう。
そうなったら、その子の前の席にいる11番の私も当てられる危険がある…
そんな風に毎日悩んで、当てられなかった日は心から安堵して胸を撫で下ろして。
しんどい日々でしたが、でも経験を重ねるごとに、少しづつ対処法を学んでいたりもしました。
例えば、当てられてから深呼吸をすると少しマシだとか、あえてゆっくり話して過剰な息を途中で吐き出すとか、バレないように心臓を抑えながら話すとドキドキが和らぐとか。
そして対処の実績を積むことで、中学生の頃の、もう何が起こっているのかパニックになる時とは少し自分の心持ちも変わっていた気がします。
あとは、デザイン科であるという特性から、個性的な同級生が多く、多様性に触れたことがよかった。
いろんな人がいる。
だからこんな私でもいい。
そして今でも大きかったと思う私の転換期の一つが、友人の所属している演劇同好会に入ったこと。
その中の一人に、とても才能溢れる子がいたんです。
同じクラスのその子は、劇の脚本も書いて、宝塚の衣装みたいなドレスもちゃちゃっとミシンや手縫いで作って。
舞台化粧も上手で、絵を描くことも、笑いのセンスも、勉強も、スタイルも、全てが良い。
私はその子のことを何もかもできる才女のように思っていたし、実際彼女は才女でした。
そんな彼女と、個性的で楽しい仲間たちと、放課後はストレッチして体をほぐしたり、台本をみんなで合わせたり。
ゆったり自由な校風は、息苦しさを感じていた私にはちょうど良かった。
そして、中学生で大の苦手だった男子の存在。
それもこの高校に入ることでだいぶ苦手意識がなくなりました。
この高校は8割が女子。
男子は元々少ないんです。
そんな少ない男子の中でも、物好きな人が何人かいました。
いつからだったか私は覚えてないのですが、その物好きな一部の男子たちが、演劇部の雑務を手伝ってくれるようになりました。
剣の殺陣を教えてくれる男子や、舞台セットに使う段ボールを一緒に放課後集めるのを手伝ってくれる男子。
それだけではなく、頼んだら劇に出演してくれる男子も。
そして苦手だった男子と話していると、彼らも女子と話すのに慣れていなかったり、実は同じような緊張感を持っていたり。
当たり前のことだけど、私は初めて、「男子も同じ人間だったのか」とこの頃気づきました笑
あとは、人前で大きな声を出すことや、劇で別人になりきるということが、意外に私には合っていました。
誰かを演じている時はとても心地よく、不安は全く感じなかった。
教室で音読するのはすごく緊張するのに、それより大勢の前で声を張り上げるのは全く緊張しなかったんですよね。
と言うよりむしろ、普段思うように読むことができない分、演劇では自分を表現したい!分かってほしい!とう気持ちが強まったのかもしれません。
そんなふうに青春を過ごしながら、私は福岡県の専門学校へ進学しました。
卒業の少し前にできた社会人の彼と2年遠距離恋愛をしつつ、ゆるい学生生活を送りました。
自分の父親が、どちらかというと毒親の部類に入ることは、もうずっと分かっていたので、親元からは何としても離れたくて県外を選びました。
私は文字を書くのが好きだったので、編集や文筆を学べる学校へ。
といっても、当時実家は貧しい方だったので、多くは選べませんでした。
それに、音読恐怖から学校はちょいちょい休んだり早退していたので、決して勉強のできる子でも、模範的な生徒でもなかった。
福岡での生活はいい時も、悪い時もありました。教習所、バイト、学校が重なった頃は体調を崩し、軽いパニック障害のようなものを煩い心療内科に通いました。
なんとなく吐きそうで地下鉄に乗るのが怖い、途中で一度降りる、といったような症状が出ることも。
あとは高校の頃は今より10キロほど太っていて、彼氏が恐ろしく痩せていたこともあり、親元を離れていた私はここぞとばかりに間違ったダイエットにトライしました。
当時は間違っているとは思ってなかったけど、今思うとやばいことばかりで…
一日ほぼ何も食べないとか、バイト先で味見をしたらそれを一食とカウントする、とかいうもの。
つまり拒食症状態。
そんな生活を続けていたら、当たり前だけど、ある日バイト先で倒ることに。
結果は、貧血。
これを機に、徐々に食べないダイエットは緩めていきました。
それからは反動で過食が出てきたり、消えたりを繰り返しつつ、といった感じです。今もその相反する二つは私の中にいます。
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管理人・夕湖のプロフィール 〜介護職と元夫との出会い〜
地元に帰ってこいという親の言葉もあり、私は専門卒業後に愛媛に戻りました。 しかし、地元で就活をしようと思っても、特に資格があるわけでもなく、かといって書くことに関する仕事を自分で探してきて応募する…と ...
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